2011年10月24日月曜日

【雑感】謙虚とはなんだったか【フットボールが好きですし】



 フットボールをしていて、コーチなどが頻繁に、

「もっと良いブロックしろ」「もっと良いタックルしろ」と言う。

もっと細かい範囲では、WRが「RACが遅い」と言われ、DBが「バックペダルが悪い」と言われ、

パンターは「蹴るのが遅い」と言われ、ロングスナッパーは「スナップが悪い」と言われ、

ということはよくある。

「○○を必ずしろ」や「○○は絶対にするな」という言葉のこともある。


挙句の果てに全員が「取り組みが甘い」とか言われ・・・・・。




 勘違いしてはいけないのは、これらは『命令』ではない、ということだ。

命令、号令、指示などといった、『成果や完成度を要求する』類の発言ではない。

 そうではなくて、これらの発言は『勧告』に近い。

勧告、警告、注意などなどといった、『ただ危険性を提示する』類の発言なのだ。


/**

 ここから数行は、『成果や完成度を要求する』ことと『ただ危険性を提示する』ことの違いを述べる。

『成果や完成度を要求する』とは、発言者が良いと思うある一定の具体的な成果や方法論を想像しつつ、そのような行動や結果を実際にすることを期待または強制することである。一方『ただ危険性を提示する』とは、発言者が良いと思うある一定の具体的な成果や方法論を想像しつつ、しかし、そのような行動や結果を実際するか否かは受け取り手本人に任せるということである。

**/




もしかすると、その勧告が耳障りであったり、理不尽に聞こえたり、腹立たしかったり、見当違いに思えたりすることがあるかもしれない。



というより、僕はそういうときのほうが多かった。



そのような時に、その勧告を無視したり、表面上は聞いておくけれど重く受け止めなかったりすることは頻繁に起こっているのではないだろうか。



何を隠そう、僕がそうだった。



この『勧告を無視する』という行為を考えてみる。

この行為は果たして「謙虚」だろうか、ということを考えてみる。


ずばり結論から言うと、誰もが「謙虚ではない」と言うだろう。僕もそう思う。




それでは、何を以ってこれを「謙虚ではない」と断ずることができるのだろうか?

今回の主題はこれです。

何を以ってこれを「謙虚でない」と断ずることができるのだろうか・・・?







「謙虚でない」と断ずるにあたって、「謙虚」の反義語をググってみた。

謙虚 ⇔ 高慢自分の才能・容貌などが人よりすぐれていると思い上がって、人を見下すこと。

     傲慢おごりたかぶって人を見くだすこと。

     尊大いばって、他人を見下げるような態度をとること。

     横柄無礼、無遠慮なこと。


ググって出たのはこれだけだが、ここに、恣意的にもうひとつ加えたいと思う。そう、僕の先生がよく使うあの単語だ。



謙虚 ⇔ 横着 すべきことを故意に怠けること。できるだけ楽をしてすまそうとすること。



このようにして並べたとき、やはり【高慢・傲慢・尊大】と【横柄・横着】というグルーピングが見えてくる。特に「横着」はひときわ異彩を放っている。(他所から持ってきたものなので、当たり前か)



【高慢・傲慢・尊大】

 これらの言葉は、やはり相手に対する態度なのだと思うのですが、違いますか。このグループの言葉の説明は、全て対象が「人」「相手」「他人」なのです。


【横柄・横着】

 横柄には、人を対象にして「無視すること」という意味もあるけれど、あえて前グループに無い意味で「横柄」にはある意味をピックアップしました。そうしたら、【横柄・横着】は対象が「人」ではないということに気付きませんか?





「お前は謙虚ではない」と言われたり、

「あいつは謙虚ではない」と自分で言ったり、聞いたりするとき、

いつも何か違和感を感じていた。

「何?謙虚ってのは、ヘリクダレ!という意味なのか?」という感覚に近い。

兎に角、何か違和感を感じていた。



 しかし、どこかで僕の口を突いてでた「フットボールラヴァー(football lover)」という単語が、この違和感を解決してくれた。




『勧告を無視する』という行為は、謙虚ではないと思う。

しかしこれは何も、発言者を無視したから「こいつは謙虚ではない」のではない。

彼が発言者にどういう態度を取ったかは、彼が謙虚か否かを揺るがす問題ではない。

『勧告を無視する』という行為をしたからといって、それは『勧告』であるがゆえ、発言者は悲しくなりこそすれ、怒らないし憤らないし、失礼被ったとも思わない。

無視した当人が死ぬ(スポーツで言えば負ける)だけなのだから。





 改めて、僕は以下のように思う。




『勧告を無視する』ことによって、彼はFootballを冒涜したのだ。

『勧告を無視する』ことによって、彼はFootballの深遠さを諦めたのだ。

『勧告を無視する』ことによって、彼はFootball Loverであることを辞めたのだ。



 それは、人に対して高慢だろうが傲慢だろうが尊大だろうがそんなことはどうでもよくて。

 Footballという競技の深遠さに対して謙虚でない。

 発言者のことなどどうでもいい。




 Football Loverとして当然の努力を、(まぁいいけどさ、)彼は諦めたのだ。Football Loverとして、自分の把握できなかった、これからも一人では把握するのが難しいであろう、課題を提示されそれをひとつ改善し、より良いFootballerになるチャンスを、彼はつまらない多少の腹立たしさなんぞでみすみす逃がしたのだ。


これは感情に流されてFootball Loverであることを自ら放棄したといっていい。



なるほど、と思った。



どおりで、凄いひとは謙虚なのだ。



彼は「競技の深遠さ」を知っているがために、謙虚にならざるを得ない。○○Loverであるがために、その勧告を無視することができない呪縛にかかっているのだ。



だから、態度が高慢だろうと傲慢だろうと尊大だろうと、したたかにその勧告を聞いているものだ。そして、横着ならぬ量の練習を重ね、(表向き涼しい顔で)したたかにそれを改善してくる。



これこそが、僕の探していた「謙虚」という言葉なのだなぁ、と思ったわけ。



/*

余談だが、このような「謙虚」な人間が集まってこそ初めて、コーチは「要求」ではなく「勧告」に徹することができ、より良い選手-コーチ間のコミュニケーションが実現するのだから、卵が先かニワトリが先かという問題(選手が「謙虚」たるのが先か、コーチが「勧告」に徹するか)でもあり、まあその辺はごにょごにょ・・・

*/



 当然のことなのだが、これは何もフットボールに限ったことではないと気付く。サッカー、野球はもちろん、囲碁、将棋、ブラスバンド、オーケストラ、あらゆる競技。


 そしてこれは個人的な感想なのだが、僕にとっては仕事(今は塾の先生)においても、友人や恋人との人間関係においても同じことが言えるのではないかと。


 グッドプレイヤーになるためのチャンスを多少の腹立たしさで放棄したりしない、その態度が、謙虚というわけだ。



最後に、僕の先生の、僕の一番好きな言葉を添えたい。




「進歩成長とは変化することである。
 変化とは深さを知ること。
 深さを知るとは謙虚になること。」

2011年10月16日日曜日

自戒 / 備忘録





// ツイッターで呟いたことを、備忘録として。



特別なことをしたからとか、試合中のオペレーションの失敗だとか、

「ミス」とか「ヒューマンエラー」とか、

そいういう理由で負けたと思ってないか?

全く違う。

彼らは日頃から、彼ら自身に顕在ないし潜在する問題に対して量・質ともに、
我々が我々にするよりも遥かに、
真摯に真剣に取組んでいただけだ。


「あれさえ無ければ・・・」なんて有り得ない。
その兆候は現れてなかったのか?
その可能性はゼロだったのか?
そういうシビアな一日一日を積み重ねていないということのみが、
勝敗を分かつのではないだろうか。

そして忘れがちだが、 

彼 ら は そ れ を や っ て い た の だ 。



それに加え、

負けた自分達の日常を悔いるのは大いにすればよい。

しかし、
もう少し、勝った彼らの日常に敬意を表してはどうか。
それをしないから、我々は不遜なチームのままなの。

2011年9月22日木曜日

恐ろしく残酷で、希望に溢れた現実

先日、生意気にも後輩に紹介してしまったある人の名言。

「成功する唯一の方法は、成功するまでやるってことだ」







/*

相応の苦労をすれば相応の結果が得られる。それだけのことですし。

ただ、「相応」は「等量」とは違いますし、

「相応」がどのくらいの比率なのか僕には知る術が無いだけのことですし。

*/








/*

「相応」がどのくらいだったか、を知る唯一の方法があるのですが、
結果を出す、ということだけですし。

結果が出れば、
「ああこのくらいがこの苦労に対する相応の結果なんだな」と分かりますし。

*/








/*

となると、

結果が出る前にやめちゃうことが多いひとにとっては、

世の中不可能だらけですし。


「等量の」努力をすれば「等量の」結果が得られる
と未だに信じ込んでいる人にとっては、

世の中理不尽だらけですし。

*/










/*

「このくらい苦労しなけりゃ、このくらいの結果が得られないのか・・・」と
「これほどの苦労すれば、これだけの結果が得られるのか・・・」と

絶望にも似た光明を垣間見た経験がありますか?


*/











「諦めないと決めたとき、成功しかなくなる」

というどこぞの名言の本質は、そこにあるのではないかと

2011年9月7日水曜日

備忘録的なエッセイ『中高生へ』

【なぜ勉強するか?】


じゃあ聞くけど、なんで筋トレすんの?


野球が上手くなるため?


じゃあ聞くけど、筋トレすると野球上手くなんの?

筋力がつくとバッティングにパワーが出るから?


じゃあ聞くけど、バッティングにパワーが出たら野球の試合で勝てるの?

そうとも限らないでしょ。


でも、筋トレするっしょ?

野球で勝ちたいから。



勉強も同じだよ。

たいていの大人は、
「勉強していい点取ること」
「勉強していい大学入ること」
を 「野球で勝つこと」 と同じくらい重要視するけど、それは違う。


勉強はただの筋トレ。



さっきと同じ質問するけど、

何で筋トレすんの?
筋トレすると野球上手くなるの?
パワーがついたら絶対勝てるの?


これと同じ。

筋トレするのには目的がある。
筋トレそのものは目的ではなく手段だ。

筋トレしたからといって、それで野球そのものが上手くなったとは言えない。
ただ一つの要素について強くなっただけだ。

筋トレしてパワーがついたからといって、じゃあそれで勝てるかといったらそうではない。
勝つには他のことが必要だ。



ベンチプレスで150kgあげることが目的ではないでしょう?

テストで90点取るのは目的ではないです。
いい大学入るのも目的ではないです。

大事なのは、
そこで身に付けた力を、どのように、何のために使うか。




じゃあ、「勉強で身に付く力」って何だろう?

微分積分ができること?
違う。

酸化還元方程式が書けること?
違う。

三角貿易を詳しく説明できること?
違う(?)。


微分積分ができること、
酸化還元方程式が書けること、
三角貿易を説明できること、
これらは全部、
野球で言うところの、
「ベンチプレスで100kgあげれること」
「スクワットで200kgあげれること」
に近い。

筋トレをした結果であり、その指標にすぎない。付いた力を確かめる手段でしかない。

この能力がそのまま野球に活かせるのではなく、

大切なのは、

「飛距離が伸びること」 であったり、

「盗塁の初速が速いこと」 でしょ?




君達がやっているのは  野球だ。

筋トレをしているとき、

「ベンチプレスで100kgあげる」 ことを目的には筋トレをしないだろう。
なぜなら、これはただの指標だからだ。

おそらく君達は、

「飛距離を伸ばす」 ために筋トレをするだろう。

その結果、野球が上手くなりたいために、筋トレをするだろう。




しかし、不思議なことに、

「勉強」と言う「筋トレ」をするとき、

おそらく君達は、

「ベンチプレス100kgあげる」 ことを目的に筋トレしてしまっている。

これでは、野球の出来ないボディビルダーを作るだけだ。








まとめると、こうなる。


「筋トレ」

「パワー」 → 「その確認としてのベンチプレスMAX測定」

「飛距離が伸びる」

その他の実力もつければ「野球が上手くなる」

絶対ではないが「勝てる可能性が大きくなる」





だけど、勉強では、こうなっている。こう信じ込まされている。




「勉強」

「点数が取れる」ことが目的

それだけで「絶対幸せになれる」




でも実際は、勉強も筋トレで、こうなっているはずだと、僕は思う。


「勉強」

「大切な何か、ある要素」 → 「その確認として点数が取れる」

「その力を活かせる」

その他の実力もつければ「人生が明るくなる」

絶対ではないが「幸せになれる。周りの人を幸せに出来る」




という構図であるべきだと、僕は思っている。


ここで言う、

「勉強によって身に付く、ある要素」

とは何だろうか。


これは、人によって意見が分かれるし、これが何かに興味があるひとも少ない。

みんな、「点数が取れる」 ことの方にばかり目が行ってるから。


それと、もう結構長い文章になったので、

今回はこれで終わり。



【備忘録的なエッセイ 2011/09/07 】



/*  塾で働いている仕事柄、
 * こういう疑問にさらされることが多いです。
 * 今日、ふと思いついたストーリーを、
 * 備忘録的にうpしました。
*/

2011年7月25日月曜日

便器に人生を見る朝は


おいた をした翌朝は、

おしっこが二股になります。









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「おいた」が何を指すかは、身近な男性にでも聞いて下さい。

「おしっこが二股」というのは文字通り、

男性のおしっこが、発射口から2方向に飛んでいく現象です。


タンパク質の変性や、流体力学の基礎で説明できます。



仮に、おしっこが二股で無かっても、



多くの女性が疑問に思っておられる通り、

西洋式便器と男性の立ちションは、非常に相性が悪いと言えます。


そうです、不潔です。


多くの女性がなんとなくいつも思われている通り、

みなさん、


彼氏には、座ってションベンしてもらいましょう。


そうです、ハネますから。











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「・・・えっ!? うおぉっ!?? まじかよ!!」



ってなりますね当然。おしっこ二股なんですから。

予期せぬ方向に飛んでいきます。

二股ですから。

こっちを入れればこっちが入らず状態。

腹筋に力を入れ、気合でスリープ状態にしてから最低限床を拭き、
すかさず座って残りのお仕事を終えるわけですが、

そして便器の部分を再び拭くわけですが、

そうです、拭くんです。


「・・・うわぁ、若いな俺も」とか照れながら、

拭くんですね、便器。


そうすると見えるんです。

日に日に便器に積もっていったであろう、ほこり、ちぢれ毛の数々、

決して日常的に見えていなかったわけではありません。


見てなかった。

「ぼちぼち汚れているな、良くないな」 などと考えながら、

そ知らぬ顔で、

「でも今日は時間無いしな」 などと言いながら、

結局拭かない。

見えてはいたけど、見てなかった。


便器というのは、驚くほどホコリが溜まるものなのですね。

そしてさらに驚くことは、

日本のセラミック技術力のレベルの高さ!!



ひと拭きで見違えるほど綺麗になる。


そのひと拭きが、いつもは億劫で・・・





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ぼくは立ちションします。

不潔と分かっていようと立ちションします。

撥ねようが、反れようが、立ちションをします。

(音、が重要なときは座りますけど)



それは何故か。


それが人生だからです。 ←えー


反れぬよう、撥ねぬよう、座ってやるのもそれもよろしい。



しかし!


反れたからこそ、撥ねたからこそ、見える汚れがあるのではないか?

反れたからこそ、撥ねたからこそ、
「拭かなければいけない」と思うきっかけになったのではないか!?




反れなかったら、撥ねなかったら、

知らずに溜まった便器のホコリは、



拭かれない、


ひどい場合は、視界にも入らない。
気付かない。



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自分の嫌いな所って、どのくらいありますか?

またやってしまったっていう癖、いくつありますか?

人を傷つけたことは?

傷付いたことは?






うんこは流石に御免ですが、


おしっこ程度なら、

そう、

おしっこ程度なら、




反れるべきです。

撥ねるべきです。



反れてみるべきです。

撥ねてみるべきです。



それは短期的な視点から見れば、非常に

痛いことであり、
怖いことであり、
汚いことであり、

疲れることであり、
しんどいことであり、
辛いことであり、

日頃から目を背けていたホコリと向き合うことであり。




でもね、日本のセラミックってのは凄いんですね~。

ひと拭きであんなに綺麗になるんですね~。

つるっつるのぴかっぴか。


反れたからこそ、

撥ねたからこそ、


だからこそ、拭かなければならなくなって、



拭いてみたら、意外に簡単で、

そして、

驚くほど綺麗な便器がそこには広がっているものなんですね。








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一見、

わ、やってしまった!
もう、あかんわ!
げ、しんどい!
えー、めんどい!

とか思うようなこと、

たくさんありますよね。




座ってションベンもできますよ?
見ないで用は足せますよ?




それでもいいと思うんです。

しかし、それでは楽しくないと思うんです。


ちょっとしたおいたでも構いません。

失敗でもいいかもしれません。

それがきっかけで、

今まで見えなかったちぢれ毛が落ちてるかもしれません。

今まで見て見ぬふりをしていたホコリを拭けるようになるかもしれません。










毎日座ってションベンをして、

見えないところがだんだんと、いつまでも、汚くなっていく便器と、



反れたり、撥ねたりしながら、

しゃーなしで拭いて、毎回綺麗になる便器と、




どっちがいいですか?



ぶっちゃけ、どっちも嫌ですね。






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思い切って電話できず、友達と仲直りできなかったことはありますか?

勇気を出した行動すらできず、フられもしなかったことはありますか?







ぼくは今朝、

そんな過去を思い出しながら、便器を拭いたんです。

反れたり、撥ねたりしたからこそ、この爽快感。

反れたり、撥ねたりするからこそ、やらなきゃならん、と一念発起。



変に臆病になって、
反れないように、撥ねないように、ってオシッコしてたら、

僕の下宿の便器は果たしてどれだけの間、汚いまま放置されることになったのでしょう。





「立ちションもまだまだ捨てたもんじゃねぇ・・・」



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女性の皆さんは、

是非とも

彼氏に立ちションをしてもらいましょう。


「うちでオシッコするときは是非とも立ちションでよろ!」

と提案してみましょう。


もしかしたら、

人によっては、




前より、日常的に便器が綺麗になるかも知れませんよ?










でも、


“二股” には注意して下さい・・・

2011年4月10日日曜日

the Catcher in the Lie















先日祇園のBar El Tesoro のバイトの面接行って、
結果から言うと、多分落ちたんだけれど、
(やっぱり経験者じゃないと駄目ね、カクテルとか)、
けれど、そこのマスターの大塚さんと色んな話で盛り上がり、
「とりあえずかっこいいバーテンダーがいるから、行け」 と紹介されたのが、

写真の Bar RockingChair  http://bar-rockingchair.jp/enter.html  
の坪倉さん



glowという曲を、お気に入りの歌い手さんが歌ってくれました↓
既出だったかな。↑



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昨晩、内定者懇親会は梅田で開催され、
いつも通り、めんどくさいから宴会モードで臨んだ。
 とりあえず喋くり、飲むんだ。
ビールでたぷたぷになったお腹で、阪急に乗り、河原町へ。
意外にも今月入った(別件の)バイト代が、そこそこ財布にあったので、
いい機会だ。RockingChair行こう、と。



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梅田にて

梅田の飲み処の一室に着いて、まず第一に思ったことは。

女の子ゼロ!?

関西内定者7人中、7人男だという。
しかも7人中6人が院生(M過程もD過程も)、 その残りの一人というのが、僕 (学部4年生)。
7人中6人がコーディング経験者

気が合う仲間と飲むときは、横耳で話を聞いたり、横槍を入れたりするのが好きなのだが、
初見だったり、大人数だったりするときは、 『宴会モード』を発動させるのです。
率先して会話をし、とりあえずビールを飲む、飲ます、喋くり、振る振る。
こうしてるのが、一番ラクなのだ。
相手に気を使わせずに済むし、
僕自身も、何も考えずに突っ走ればいいだけなのだから。



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ソフトウェア開発だったり、システム構築の経験や、
それなりにアカデミックな背景のある人ばかりで、
それに対して、

「なんで お前は ここにいるんだ?」

という質問が飛んでくるのは、
容易に想像できた。

だけど、その質問に対する答えは、用意していなかった。
素朴に、素直に答えたつもりでも、

諸兄は納得しておらず、

しかし僕は、彼らが納得できないことに対して、 憤慨もしないし、悔しいとも思わない。
僕を理解されたいとも思わないし、 彼らを理解できないとも思わない。
どちらかというと、彼らは僕をよく理解していた。

つまり、彼らの言うことは、もっともだったのだ。


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「湘南ゴールドです」 と、確かそう言われたと記憶している。

「食後です。梅田で、結構飲んで来ました。就職活動中でいろいろ考え込んでます。ジンベースで何か。」
と言ったら出てきたカクテルだ。湘南ゴールド

ジントニックを「湘南ゴールド」という品種の柑橘で匂い付けしたもので、とてもおいしく頂きました。


El Tesoroの大塚さんといい、 RockingChairの坪倉さんといい、
就職活動で出会う人とはタイプこそ違えど、 なんと魅力的な人だろう。

ここで書いたノートの走り書きは、今見てもまったく読めた文字ではない。
しかし強く覚えているのは、
『「人で決めました」と言う人がよくいるが、もし本当に「人の魅力」で就職決めるのであれば、
僕はバーテンダーにだってなりたい』 
などと考えたことだ。 一晩明けて、とてつもなく恥ずかしいが。



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システムエンジニアだったり、
ゲームプログラマだったり、
Webデザイナーだったり、
音楽だったり、
そのための道を、心を痛めて選択してきた人がいて、
その都度、 逆に言えば彼らは何らかの選択肢を捨ててきたわけで。

それに対して、今まで怖くて何も捨てられなかった俺が、
真っ青な全能感を振りかざし、彼らにしてみれば神聖な専門分野に土足で上がりこんでくるのは、
非常に見苦しかろう。心苦しかろう。イライラするだろう。
たぶん色んな方面で、イライラさせてるんだろうな、と。
「軽い気持ちでやりますできますとか言ってんじゃねぇよ」とか。
「結局ただの気まぐれだろ」とか。 更に悪いことに、僕自身もそう思うのだから。
自分自身でも、この真っ青な自信過剰に、青くて青くてイライラする。
いつまでも、何でも出来る、やればできる、じゃだめだろ、と。
死ぬ気のやる気さえあれば、
プログラミングだってできる、
ビジネス分野でも結果が残せる、
クリエイターに関われる、そんなこと、
今まで捨てられなかったものがたくさん残っている。
ひとつひとつが強烈に自己主張しているから、厄介だ。



 真っ青な自信過剰、ということの意味だ。


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「お口に合いましたでしょうか」

はい、おいしいです。

「信じた道をいけばいいんじゃないですかね」

と、簡単に言ってくれるけれど、。。確かにおっしゃる通りでして。

以前様々なひとから 「お前は今、自信を失っている! (ビシーッ 」 
と言われたことの意味が、 今なら多少わかる。

自   を  信   ね。











すんません、チェックで。  貧乏学生なんで、一杯だけですんません。

「お会計、こちらになります」




おぅ やっぱり、立派なお店は、お会計も違うな・・・・。

ごちそうさまでした。



ねぇ 消えて 消してよ
 そう願っていたのに
どうして こんなにきつく抱きしめてるの
glow




※この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などは、現実のものと関係ありません。 (就職がらみなので)

2011年3月24日木曜日

出会いと別れとビバルディ



今回の曲は、『キリトリセン』 ニコ動のアカウントある人は、  http://www.nicovideo.jp/watch/sm13821630


一応原曲は↓ ボーカロイドだめな人は注意

だけど、GUMIで歌われているこれ、もはやオートチューン使ってる歌手と比べて、 ほとんど遜色無いと思うんだけどな。
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長い風邪と腰痛からある程度復活した今日、

太陽が昇っているうちに外出するのは、もう4日ぶりくらいだろうか。

腰はまだ全快とは言えないが、 風邪はもう治った・・・!

青っぱなが出だして、ずっと不通だった鼻が、

風邪の辛気臭い空気から開放されたときの 匂い、

と、 いよいよ来た、春の匂い。

今日は院生の卒業式だ。 僕とタメで、修士号取ったやつは、今日卒業式だ。


体調はやっぱり心の状態に大きく影響するなぁ、と、治ってやっと再認識。


夏が来れば、「やっぱり夏が好きだなぁ」 と思い、
秋が来れば、「やっぱり秋が好きだなぁ」 と思い、
冬が来れば、「やっぱり冬が好きだなぁ」 と思うけど、

春が来たときの、「やっぱり春が好きだなぁ」 という感じが、 やっぱり一番好きだなぁ、と。

思い出に拠るところも大きいけれど、

季節に急かされる気持ちと、切ない現実と、もどかしい状況、
苦い心境と、甘い口内、みたいな。

望んでいるのかいないのか、自分では分からないけれど、

雪は勝手に解けていっちゃうし、風はやわらかくなっていくし、
ドアを開けたときの胸躍るのを抑えられない感じが、
春の陽気が、



結末を迫る。 次の幕を開けろと迫る。



 自分の気持ちはお構い無しに。
そんなこんなで、この季節は、 アップテンポで切ない恋の歌が特に耳に残る、   という個人的にはそういう見解。

(自分自身は長くそんな状況になってないのに)そんな気分になる。

あ、今年の僕にとっては、就職がそれか。






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2択の様相になってきた。


だいぶ固まりつつあるA社。

ぜんぜん進んでない魅力あるB社。

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将来、やりたいことをズバーっと出来る人間になるために力を溜めるべき、  と

今現在やりたいことを今やりきらないでどうすんのよ?              の

せめぎ合いが、
分離症の僕の腰に重くのしかかっていた。
ついでに風邪もひいていて、気分は重く、
インテリな感じ、
頭でっかちな感じ、
知的な感じ、
ハムレットよろしく、
「Aするべきか、Bするべきか、」 それが問題だった。


気分が滅入ったな、外に出るかぁ!

 ということも、腰が痛くて出来ず、

部屋にこもってアニメ見てました。


魔法少女まどかマギカ を10話までぶっ通して。
俺の妹がこんなに可愛いわけがない を全話ぶっ通して。
マクロスF を5話まで見て。
けいおん! を全話
けいおん!! を4話まで。
レベルE を6話まで。
甲殻機動隊、 は食指が動かなかった・・・。

小学生の頃、風邪引いて学校休むとテレビ見放題だったあの感じを思い出した。

加えて、風邪 = 孤独 も今回打破された。

Twitter、MIXI、pixiv、こえ部など、SNSに助けられた。

より一層、クリエイターという人種に憧れることになった。



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ドアを開けた瞬間







「つべこべうるさいんだよね」












風邪が治って、久しぶりに洗ってあるパンツ履いて、ちょっとおめかししてドアを開けたら、

かなり春だった・・・・!!






うだうだ言っていても幕が開くんだったら、開けましょう。
所詮出会いと別れの連続でしょう。
A社かB社かC社か知りませんけど、
幕が開くなら開けましょう。
春が来たなら動きましょう。
雪が解けたらさよならで、
花が咲いたらこんにちは。

この切ない感じが、かなり好きです。

就職活動という恋愛も、第3幕が開きました。



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感情論で切り取った 未完成で曖昧な恋の色は

山折 谷折 しわくちゃになってた




望むと望まないとに関わらず、切り取られていく季節なんでしょうな








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写真は、ずっと行きたいと思っていた、Jazz HANAYA (敷居が高い!)

http://www.jazzsoda.com/cafe/hanaya.htm 思ってたより高くなかったし、めっちゃ良かったハート 





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今回は曲の尺とか上手くいった気がする