2011年1月12日水曜日

ラスコリニコフは永遠に


恵比寿神社のご奉仕、という仕事をしていた。

三日間。 仕事そのものはめちゃくちゃしんどかった。

最終日、昨晩は、樽酒も頂くという贅沢をした。 神社の宮司さんともお話ができた。

主に、社会的利益と生物学的利益について、
平たく言えば 「個と全、どちらをとるべきか」
小難しく言えば 「遺伝子か、法か」








二日酔いの朝はいつでも、何か書きたくなる。 吐きたくもなるけど、
それ以上に何か書きたくなる。

もしかすると、 吐きたくなる心理と、書きたくなる心理は、似ているのかも知れない。



エッセイとか、そのような匂いの文章はとても恥ずかしくて赤面する。 でも、赤面こそが楽しさだ。そ
れこそ、愛おしさだ。


人生はなんて素晴らしいのか。と最近よく思う。
人の一生は、どうしてこんなに素晴らしいのか。
「取り返しがつかない」という事実がこんなにも愛おしい。
友人がいることがこんなにも愛おしい。
何ひとつ成功していないのに、
今だって失敗ばかりなのに。



朝起きたら、寝ゲロがぶち撒かれていた。俺ではない、友人のだ。

部屋が血だらけでもある。超あせった。

友人が後頭部から血をだして寝ている。

あせって意識確認したら、@「うっとうしぃなぁもう!」と言われた。

とりあえず安心。

とりあえず安心したので、消えた俺の財布を探そうと思う。クレジットカードも入っているのに。。

昨夜は自分も酔っていて、
悪酔い三か条

寝ゲロ、 靴、 遺失物。


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有意義ではあるが、決して幸せとは言えない大学四年間であったと思う。
(幸せとはなんだろうか、と思ってしまうのは、今は我慢する)


昨晩は、 神社の仕事のひとつで、
舞妓さんの追っかけのカメラ小僧が最前列で押してくるのをガードしながら、
不思議と、 ナゼか、 中学のときにめっちゃ好きだった女の子に送った年賀状のことを思い出した。

誰しも、そういうことの一つや二つあるだろう。
三谷幸喜のエッセイ集の文句だったと思う、

「なんでもない夜中に、本当に突然思い出し、思わず「ワー!」とか「キャー!」とか 叫んでしまいたくなる恥ずかしいエピソード。そんなものが、誰しもあるだろう」





中学のときにめっちゃ好きだった女の子に送った年賀状というのは、
れはんもう壮絶なもので、
人が聞いてもわーとかきゃーとか言いたくなるだろうほどのシロモノである。


そのあたりを「恥ずかしくて言えない」という人間ではないので、聞かれればいくらでも話すよ。

その子に告白した、あの夕方のことも、負けず劣らずわーきゃーエピソードなのだが、

あの年賀状を送ったことの方が、叫びたくなる。星も落ちんばかりに、腹のそこから。


有意義ではあるが、とても愛おしい24年間であったと思う。 そんな僕も25になろうというのだから、世も末だ。


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メラ小僧、と言ってもおっさん、をブロックするには、闇雲に押すだけではいけないのだ。
押さば押し返され、押される。

仲良くなるのがいいのだと聞いたので、思い切って色んなおっさんに声をかけてみた。
おっさんら情報によると、
写真の娘は「さとの」さん
・宮川町 というところに行けば、すっぴんでも歩いている
・いちげんさん お断り
・中学を卒業してすぐ、修行に入
・こう見えて19才 「にいちゃんなんぼや。しっかりしいやぁ」
・「イタリ ア カラ キマシタ  キレイ デス シャッシン タクサン トリ マシタ」 という翁もいた


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自分では、人よりも、キャー!と叫びたくなる夜が多いと思う。

単に「変態エピソードが多い」ということではない。
僕よりも変態エピの多い人はいるだろうと思うけど、ワーキャーエピとはまた少し違うのだろう。
そう、いい年して、ウブなんだと思う。

もし、「俺も、あたしも、キャー!と叫びたくなる気持ちを夜な夜な枕で押し殺す」 という人がいるなら、とっても聞きたい。
それを聞かせてほしい。
吉祥寺の飲み屋でも、河原町の飲み屋でも構わない。
ススキノでもナカスでもカブキチョウでもいい。


そんな夜が、僕は多い。

思い出すのは10年前、中学生のときもある。
昨日のことでもそんな夜はある。
「なんであそこであんなこと言っちゃったんだろう」 とか。


*****

恵比寿神社の宮司さんは、とても面白い人で、飲ませ好きだ。
飲むのも好きだというが、神事関係で禁酒しているといっていた。

過激な発言も出た。

「遺伝的劣性なのであれば、それは淘汰(滅びていかざるをえない、ということ)されてしかるべきだ」

とか。

「努力している人間と、努力しない人間の報酬をなるべく均一にしようとするなんて、愚の骨頂」

とか。

言うなれば 回帰的資本主義 といったところか。そんな一言で収めるのもおこがましい、というような 奥深いはなしを聞けた。

「受け入れる」

ということだと彼は言った。

「そのうえで、ひとりが、決断をしていくんだよ」






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二日酔いの朝は、何か書きたくなる。

それすらもう、ワーとかキャーとか叫びたくなるほど、恥ずかしい文句だ。

吐きたいという心理と、書きたいという心理は、似ているのだと思う。
だって、今はもう吐きけも何もない。

そんな些細な一晩と、朝を迎え、
すこしづつ嘘も覚えて、
急激に色気づいて、
そんななか、
本来の自分との摩擦を感じて、
胸に熱いものがこみ上げて、


そでもれはゲロ。


もちろん、タイピングしているので、財布を探してすらいない。

ちょーやばい。 CCとか、免許証とか、学生証とか、6千円とか入っていたし。

足元で寝ている友人の、ダウンコートはゲロだらけだし、

もちろん僕の布団はゲロだらけだし、

友人のズボンは血だらけだし、

アパートの階段はゲロだらけだし、

友人の枕は血だらけだし、

昨日ナンパした巫女さんからメールは来ないし、

就職は迷うし。






だから、強く思う。 人生はなんて素晴らしいのか。
人の一生は、どうしてこんなに素晴らしいのか。
「取り返しがつかない」という事実がこんなにも愛おしい。
友人がいることがこんなにも愛おしい。
何ひとつ成功していないのに、
今だって失敗ばかりなのに。 こんなにも愛おしい。



過ぎたことは、何もできない。取り返しがつかない。
どんなに時間がたっても、ひとり静かに赤面して叫びたくなる夜は来る。
あの年賀状を思い出す。
昨日ついた嘘に、さいなまれ続ける。


とりかえしがつかない、ということがこんなに素晴らしくて、愛おしいことだとは思わなかった。

刻んで、刻まれて、重ねて、積んで。
傷ついて、失敗して、失って、迷って。
捨てた。嘘もついた。
逃げた。


とりかえすことは、できないんだな、と思った。

それがこんなにも、愛おしいことだとは思わなかった。 気持ちよくもない、むしろ気持ち悪い。楽しくもない。
幸せだとも思うけど、幸せでないと思うことのほうが多い。


もう決して、とりかえしがつかない。





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そうこうしていたら、友人が目を覚ました。流血にも記憶が無いらしい。

今に 死ぬぞw


「ぜんぜん記憶ないんすけど、ゲロすんません・・・」

当たり前だw

そのうえお前は血だらけだ。

いつもは言えないことを、言っておかないと、とりかえしがつかないから、言った、


佐野君、いつもありがとう。



「いや、つーか、すんません・・・。どんなタイミングですか・・・」





「あとこれ、落合さんの財布っすか?」



















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