初めて
「オフ会」なるものに行った。
べんさんの勧めでもある。
オフ会のあとは、アップすにも行った。
べんさんの勧めでもある。
「吐きたい朝は、書きたい朝」
という文句の語呂が良すぎて、
それ以上崩したくないのだが、
吐きたくなくても、書きたい朝がある。
ん?それがある意味「吐きたい」のか?
愚痴、か。
うそつきました。
吐きたいです。
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今までやってこなかったことを急激にやりだして、
従来の感情と、現実の行動の間にめちゃくちゃ摩擦を感じて、
毎日のことながら、昨日の発言、行動を取り消せたらな、と思う。
でも、その取り返しのつかなさが、いとおしい、というのは前述の通り。
前述というのは、過去の日記の通り。
忘れる、忘れれる、という機能はとても秀逸だな、と昔からずっと思っているのだが、
最近はそう考えていない。
できることなら、 なにも忘れたくないのだ。
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何も忘れない男
というような題材で、何か書けるかもしれない
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過ぎし、1月29日は東京に行った。
日帰りで、濃密な上京であった。
滞在日数に関わらず、一回の帰郷によって得られる学びは、一定量なのかもしれない。
そしたら、毎回日帰りの方がいいじゃんか。
5年ぶりくらいの友人、その友人が働いている会社の筆記試験のために上京したのだ。
その友人とお茶しているときに、何度も名言が飛び出た。
一番しびれたのは、
「やりたかったら、やってる」
と 言われたことだ。
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「殺された未来へのイヨマンテ」と言い放つのは簡単だが、
「今、生かされている未来への供物」と考えてもいいのではないだろうか、
と言われたわけだ。
「どんな未来を殺してきたか、ということが頭を占めている」
その通り。
選択、進路決定、就職活動。
「実現できたかもしれない未来」を削っていくことに過ぎない、とすら考えていた。
「でもね」
就職活動という節目に出会って初めて、殺された未来と対面したというのが、ぼくの不幸だ、
とすら考えていた。
「でもね、
殺してきた未来と、ほとんど同数で、等量で、
どんな未来が今生きてるかも、考えられるんじゃないの?」
その通りだなぁ、と思った。
またしても、僕は馬鹿だった。
「未来を殺した選択をしたときは必ず、
何かしらの未来が生き残っていったはすでしょう。
今日何かが死んだら、葬式はするけど、
今日何かが生きていても、祭事は行われないのと一緒だよ。」
5年前はこの人に、説教すらした覚えがある。
月日が過ぎるのは早い。
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「やりたかったら、やってる」
というシビレ文句の真意は、
「やりたいけどやれなかったという事象なんて存在しない」
、という命題とほぼ同値。
「ほんとうはやりたかったんだけど、 できなかったんだ」
という言葉は嘘だ。
ということ。
思い返してみた。
僕が今まで実際にやってきたことは、
いつだって「できたこと」「やれたこと」なのか?
思い返してほしい、
僕の友人が今まで、今も、やってきたことは、
僕から見るといつだって尊敬すべきチャレンジだった。
決して、安易に、
「やれたこと」
ではなかったはずだ。
それをやったのだ、彼らは。
すんなり、できたから、やったのではなくて、
彼らは、それを、やりたかったから、やったので。
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(今日はナゼか、ミスタイプから、いい表現が生まれるナァ・・・)
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この正月に帰省したときに実家の考え方に愛想を尽かしてからは、
「もー帰らんもんね」
と決めたので、実家には帰らずに上京した。
生まれ育った地ではあるが、実家に帰らん、と決めた今となってはもはやアウェイだった。
その、「もはや遠征」から帰るときの夜行バスの隣の席のあんちゃんは、
明らかにお前アメフトのひとやろ、と思うくらいのガタイで、
アメフトのひとにありがちな、スウェットで、
コンドームみたいなニット帽かぶって、
夜行バス慣れしてない感じで、。
コンドームみたいに先っぽが余ってるニット帽かぶってるひといたら、
80パーくらいの確率で、アメフトだと思っていいです。
そんなあんちゃんの隣で寝れるわけもなく、
昨日の早朝、その夜行バスは京都駅八条口に到着するも、
帰宅後、即刻、寝た。
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日曜の眠りから起こされて、何だと思ったら、親友からの電話だった。
「昨日東京いたんだ。タイミング悪いなぁ」
というようなことを僕は言ったが、そんなこと重要ではなかった。
「転職するんだ」
大学を卒業して3年目の彼は、3回目の転職を決めたのであった。
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いつしかの夜、僕はテキーラをロックで飲んでいたが、
隣にいた女の子は、何を飲んでいたか、今では思い出せない。
しかし、彼女が19歳だったということは覚えている。
「アナウンサーになりたい」
と言っていた。
僕は、「アナウンサーになりたい」と言った女性を他に2人知っていたが、
そのどちらとくらべても、その子の方が可愛かった。
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「家具職人になるのだ」
と聞いたときは流石にびっくりしたが。
一緒に受験勉強もした、
一緒に試合も出た。
俺にとっては最も尊敬すべき友人は、
京大にも入って、大学院にも行って、
家具職人はさすがに無いでしょうよ(笑)
と周囲にさんざ言われながらも、
大学院を辞めるのだという。
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やりたかったら、やってるのだ。
やりたいことをやって、ここまできたのだ。
今後も、
やりたいことは、結局やるんだなぁ。
要は、障壁を乗り越えるだけの「やりたい」かどうか、ということなのだろう。
とてもタイムリーな出会いを、ぼくはした。
5年ぶりの友人は、
「そういう人は、悩みすらしないのよね」
「あんたも、
知らず知らずのうちに、
違うか、
悩まず悩まずのうちに、
あんたの やりたいこと を選択してきたんじゃないの?」
俺が、
フットボールを通じて学んだこと、
宇城師や水野師から学んだこと、
そういうことを、ちゃんと生きているひとは、ちゃんと違うルートで手に入れているのだ。
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朝日を浴びてだんだんと色づいていく京都は、とても素敵だ。
うむ、素敵だ。
僕は、非常に個人的には、何も忘れたくない。
それが、僕が殺していった未来に対するイヨマンテ、
という結論でいいだろうか。
許してくれるだろうか。
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ひとの誕生日を覚えるのはまったく得意でないので、
ご無礼つかまつったのだが。
ゆうほ君、誕生日おめでとう。
いつも付き合ってくれてありがとう。
そうこうしてるうちに我々も25歳ですな。
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ああ、今日の1限テストだったな。
ん。
農薬科学、
まー、やりたくはないわな(笑)
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