2011年1月31日月曜日

シーシュポスのススメ。




初めて
「オフ会」なるものに行った。

べんさんの勧めでもある。


オフ会のあとは、アップすにも行った。

べんさんの勧めでもある。



「吐きたい朝は、書きたい朝」
という文句の語呂が良すぎて、
それ以上崩したくないのだが、



吐きたくなくても、書きたい朝がある。

ん?それがある意味「吐きたい」のか?

愚痴、か。




うそつきました。
吐きたいです。



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今までやってこなかったことを急激にやりだして、
従来の感情と、現実の行動の間にめちゃくちゃ摩擦を感じて、

毎日のことながら、昨日の発言、行動を取り消せたらな、と思う。

でも、その取り返しのつかなさが、いとおしい、というのは前述の通り。
前述というのは、過去の日記の通り。




忘れる、忘れれる、という機能はとても秀逸だな、と昔からずっと思っているのだが、
最近はそう考えていない。











できることなら、 なにも忘れたくないのだ。










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何も忘れない男

というような題材で、何か書けるかもしれない





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過ぎし、1月29日は東京に行った。
日帰りで、濃密な上京であった。

滞在日数に関わらず、一回の帰郷によって得られる学びは、一定量なのかもしれない。
そしたら、毎回日帰りの方がいいじゃんか。



5年ぶりくらいの友人、その友人が働いている会社の筆記試験のために上京したのだ。

その友人とお茶しているときに、何度も名言が飛び出た。

一番しびれたのは、



「やりたかったら、やってる」



と 言われたことだ。



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「殺された未来へのイヨマンテ」と言い放つのは簡単だが、

「今、生かされている未来への供物」と考えてもいいのではないだろうか、

と言われたわけだ。








「どんな未来を殺してきたか、ということが頭を占めている」


その通り。
選択、進路決定、就職活動。
「実現できたかもしれない未来」を削っていくことに過ぎない、とすら考えていた。






「でもね」





就職活動という節目に出会って初めて、殺された未来と対面したというのが、ぼくの不幸だ、
とすら考えていた。




「でもね、

殺してきた未来と、ほとんど同数で、等量で、

どんな未来が今生きてるかも、考えられるんじゃないの?」






その通りだなぁ、と思った。
またしても、僕は馬鹿だった。






「未来を殺した選択をしたときは必ず、

何かしらの未来が生き残っていったはすでしょう。


今日何かが死んだら、葬式はするけど、

今日何かが生きていても、祭事は行われないのと一緒だよ。」






5年前はこの人に、説教すらした覚えがある。

月日が過ぎるのは早い。









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「やりたかったら、やってる」

というシビレ文句の真意は、



「やりたいけどやれなかったという事象なんて存在しない」

、という命題とほぼ同値。





「ほんとうはやりたかったんだけど、 できなかったんだ」 

という言葉は嘘だ。

ということ。










思い返してみた。



僕が今まで実際にやってきたことは、

いつだって「できたこと」「やれたこと」なのか?


思い返してほしい、
僕の友人が今まで、今も、やってきたことは、

僕から見るといつだって尊敬すべきチャレンジだった。


決して、安易に、

「やれたこと」

ではなかったはずだ。




それをやったのだ、彼らは。



すんなり、できたから、やったのではなくて、

彼らは、それを、やりたかったから、やったので。















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(今日はナゼか、ミスタイプから、いい表現が生まれるナァ・・・)



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この正月に帰省したときに実家の考え方に愛想を尽かしてからは、

「もー帰らんもんね」

と決めたので、実家には帰らずに上京した。

生まれ育った地ではあるが、実家に帰らん、と決めた今となってはもはやアウェイだった。






その、「もはや遠征」から帰るときの夜行バスの隣の席のあんちゃんは、

明らかにお前アメフトのひとやろ、と思うくらいのガタイで、

アメフトのひとにありがちな、スウェットで、

コンドームみたいなニット帽かぶって、

夜行バス慣れしてない感じで、。



コンドームみたいに先っぽが余ってるニット帽かぶってるひといたら、

80パーくらいの確率で、アメフトだと思っていいです。


そんなあんちゃんの隣で寝れるわけもなく、




昨日の早朝、その夜行バスは京都駅八条口に到着するも、

帰宅後、即刻、寝た。









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日曜の眠りから起こされて、何だと思ったら、親友からの電話だった。


「昨日東京いたんだ。タイミング悪いなぁ」

というようなことを僕は言ったが、そんなこと重要ではなかった。









「転職するんだ」




大学を卒業して3年目の彼は、3回目の転職を決めたのであった。




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いつしかの夜、僕はテキーラをロックで飲んでいたが、

隣にいた女の子は、何を飲んでいたか、今では思い出せない。

しかし、彼女が19歳だったということは覚えている。



「アナウンサーになりたい」

と言っていた。
僕は、「アナウンサーになりたい」と言った女性を他に2人知っていたが、

そのどちらとくらべても、その子の方が可愛かった。




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「家具職人になるのだ」


と聞いたときは流石にびっくりしたが。


一緒に受験勉強もした、

一緒に試合も出た。

俺にとっては最も尊敬すべき友人は、

京大にも入って、大学院にも行って、



家具職人はさすがに無いでしょうよ(笑)



と周囲にさんざ言われながらも、

大学院を辞めるのだという。




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やりたかったら、やってるのだ。



やりたいことをやって、ここまできたのだ。


今後も、


やりたいことは、結局やるんだなぁ。


要は、障壁を乗り越えるだけの「やりたい」かどうか、ということなのだろう。

とてもタイムリーな出会いを、ぼくはした。







5年ぶりの友人は、


「そういう人は、悩みすらしないのよね」




「あんたも、

知らず知らずのうちに、


違うか、

悩まず悩まずのうちに、



あんたの やりたいこと を選択してきたんじゃないの?」








俺が、
フットボールを通じて学んだこと、
宇城師や水野師から学んだこと、
そういうことを、ちゃんと生きているひとは、ちゃんと違うルートで手に入れているのだ。









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朝日を浴びてだんだんと色づいていく京都は、とても素敵だ。

うむ、素敵だ。







僕は、非常に個人的には、何も忘れたくない。
それが、僕が殺していった未来に対するイヨマンテ、



という結論でいいだろうか。




許してくれるだろうか。






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ひとの誕生日を覚えるのはまったく得意でないので、
ご無礼つかまつったのだが。


ゆうほ君、誕生日おめでとう。
いつも付き合ってくれてありがとう。


そうこうしてるうちに我々も25歳ですな。




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ああ、今日の1限テストだったな。

ん。







農薬科学、

まー、やりたくはないわな(笑)

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